クリニックの本棚

クリニックの本棚

『いつでも会える』

(Gakken)菊田まり子 著

ぼくは、シロ
みきちゃんのイヌ。
ぼくには、だいすきで大切な人がいる。
ーシロー。
(けなげで あることにさえ きづかぬ けなげさ かなり かなしい です。)

『おおきな木』

(篠崎書林)シェル・シルヴァスタイン さく ほんだ きんいちろう やく

むかし りんこのきが あって ・・・・
かわいい ちびっこと なかよし。
(一本のリンゴの木が 成長し老いていく 一人のおとこのこに
ささげる限りない愛の話、と まとめてしまっていいのかな?)

『葉っぱのフレディ ーいのちの旅ー』

(童話屋)レオ・バスカーリア 作 みらいなな 訳

春が過ぎて夏が来ました。
葉っぱのフレディは この春 大きな木の梢に近い太い枝に生まれました。
(春に生まれて 秋に散っていった ちょっと西洋的な フレディの
ちょっと哲学的な 一生についてのお話 ちょっと かなしいです)

『まほうをかけられたまじょのアマンダ』

(アルク)ジョン・ヒンメルマン さく いくしまさちこ やく

やまの なかの もりの おくふかくに
きのいい まじょの おばあさんが すんでいました。
なまえは アマンダと いいました。
(ある日 アマンダは いたずら好きな がまがえるのせいで てんてこまい
それでも 最後は なにもかも もとどおり でもね、ひとつだけは べつでしたよ。)

『木を植えた男』

(あすなろ書房)ジャン・オノ 原作 フレデリック・バック 絵 寺岡襄 訳

話は、何十年もむかしにさかのぼる。
あれはたしか1913ねんのこと。
(空想と現実の狭間で、荒れ果てた山野を 緑で満たした男の、半生のお話
かなり 感動的ですが 私は「虔十公園林」(宮沢賢治)の方が ぜったい好きです)

『アンジュール ある犬の物語』

(BL出版)ガブリエル・バンサン 作

ー文章のない、デッサンだけの絵本ですー
(ある日、ふいに車から棄てられた イヌのアンジュール
おどろきと、悲しみと、途方にくれて、日も暮れて
やがて、ひとりの、寂しげな瞳の少年と出会う
少年の目と、アンジュールの目と 一直線に結ばれて。)

『神の子どもたちはみな踊る』

(新潮社)村上春樹 作

1995年の地震の後で、まったく関わりのない六人に起こった六つの それぞれのできごと
一回限りの、ただそれだけの出来事がつづられていく。
(これ、徳重先生からのプレゼント本、です)

『モリー先生と火曜日』

(NHK出版)ミッチ・アルボム 作 別宮貞徳 訳

大学卒業式以来、久しぶりにTV画面で見た恩師は、
難病ALSに侵されていた。
死の床で再会した、火曜日ごとのゼミ。
テーマは「人生の意味について」。
モリー先生は言う。
「憐れむより、君が抱えている問題を話してくれないか」
火曜日は14回続いて、終わった。
読みながら、幾度となく目が霞んだ。

『相田みつを いのちのことば 育てたように子は育つ』

(小学館)相田みつを 書 佐々木正美 著

みんなほんもの
トマトがねぇ トマトのままでいれば ほんものなんだよ
トマトをメロンに みせようとするから にせものに なるんだよ
みんなそれぞれに ほんものなのに 骨を折って にせものに なりたがる
(一行だけ 一言だけ それで いいんです)

『タオー老子』

(筑摩書房)加島祥造 著

天と地が生まれて 物に名がついたわけだが、
名とは 物の表っ面(ウワッツラ)にただ張りつくものだ。
美しいと汚いは、別々にあるんじゃあない。
美しいものは、汚いものがあるから 美しいと呼ばれるんだ。
善悪だってそうさ。
・・・・・・
・・・・・・
同じように、ものが「在る」のも、「無い」があるからこそありうるんでね。
お互いに 片一方だけじゃあ、在りえないんだ。
(生まれて初めて理解できた、老子)

『マグノリアおじさん』

(佑学社)クエンティン・ブレイク 作・絵 谷川俊太郎 詩

マグノリアおじさんの くつは かたっぽ。
ふるい トランペットは ぱぷっぽ ぱぷっぽ
ふたりの いもうとの フルートは ぴぷっぽ ぴぷっぽ
でも マグノリアおじさんの くつは かたっぽ。
いけのかえるは いもりと けけっこ けけっこー
かっている みどりのいんこは ようふくに あなを あけっこー

『僕は怒った』

(佑学社)ハーウィン・オラム 文 きたむらさとし 絵・訳

「だめです」おかあさんが いった
「もうおそいから ねなさい」
「いやだ」って アーサーは おこった
すると おかあさんは
「おこりたければ おこりなさい」といったから
アーサーは おこった ほんとうに おこった
アーサーがおこると かみなりぐもが ドカン となって
いなずまがはしり ひょうがふった
「もう じゅうぶん」おかあさんが いった
でもまだアーサーは おこってる
アーサーがおこると あらしがふきあれ やねと えんとつと
きょうかいのとうを ふっとばした
「もう じゅうぶん」おとうさんが いった
でもまだ アーサーは おこってる
アーサーがおこると たいふうがやってきて
まちをぜんぶ うみのなかに ひっくりかえした

『深呼吸の必要』

(晶文社)長田弘 著

きみはいつおとなになったんだろう。
きみは いまは おとなで、子どもじゃない。
子どもじゃないけれども、きみだって、もとは一人の子どもだったのだ。
(中略)
きみはある日、突然おとなになったんじゃなかった。
気がついてみたら、きみはもうおとなになっていた。なった、じゃなくて、なっていたんだ。
ふしぎだ。そこには境い目がきっとあったはずなのに、子どもからおとなになるその境い目を、きみがいつ跳び越しちゃってたのか、きみはさっぱりおぼえていない。
(ときには、木々の光りを浴びて、言葉を深呼吸することが必要だ。日々になにげないもの、さりげないもの、言葉でしか書けないものをとおして、おもいがけない光景を、透きとおった言葉にとらえた<絵のない絵本>)

『ボケを知りボケとつき合う』

(成星出版)十束支朗 著
(私がお世話になった 山形大学 元教授(現名誉教授)です。)

長年老化の研究をしてこられました。
「ボケ」について とてもやさしく解説した本です。
韓国語にも翻訳になったと よろこんでおられました。
家族にとって 老親を理解する手助けになります。)

『虔十公園林』

(偕成社)宮沢賢治 作 伊藤亘 絵

虔十はいつも縄の帯をしめて、わらって、杜の中や畑の間をゆっくりあるいているのでした。
雨の中の青い藪を見てはよろこんで目をパチパチさせ、青ぞらをどこまでも翔けていく鷹を見付けては、はねあがて手をたたいてみんなに知らせました。けれどもあんまり子供らが虔十をばかにして笑うものですから、虔十はだんだん笑わないふりをするようになりました。

(いつも、木や鳥を見てはうれしがっているので、子供たちからはばかにされていた虔十が、ある日、野原に杉の苗を植えて育てはじめました。
小さな杉林は、やがて子供たちのよろこびとなり、虔十が死に、村が町になっても、変わらず残ったのです。)

ケンジュウと、じぶんのことを宮沢賢治は、よぶことがあったといいます。

『こころの七クセ』

(金子書房)なだいなだ 著

「これは、言ってみればこころの癖、
ほら、人間、なくて七癖って言うでしょう
心にもクセってあるんですねぇ」
これは、私の口癖。
でも、それをもっと分かりやすく、いつものようにユーモアをまぶして、
(昔、クレージー・ドクターと言ってたようなんだけど、今は)
つむじ先生のエッセイ集。

『母親に語る しつけ の精神分析 幼稚園児・小学生の間に身につけてほしい心』

(金子書房)小此木啓吾 著

幼児期・児童期のケースをあげながら、親と子との関係について、対応法について、様々な問題ケースごとに、分かりやすいアドバイスが語られます。
(でも、患者さんやご家族の評判は、イマイチ、でした。難しいそうです。)

『コートニー』

(ほるぷ出版)ジョン・バーニンガム さく たにがわしゅんたろう やく

だれもほしがらない、雑種でじいさんいぬのコートニー。
でもコートニーは すてきだよ。
うちが火事になったときだって、逃げおくれた赤ん坊を助け出してくれた。
なのに、ある日とつぜん コートニーは姿を消してしまったんだ・・・・・・。

『わすれられないおくりもの』

(評論社)スーザン・バーレイ さく 小川仁央 やく

アナグマはたいへん年をとっていて もの知りでした。
だから、みんなに頼りにされていました。
ある朝、アナグマは こんな手紙をのこして死んでしまいました。
「長いトンネルの むこうに行くよ さようなら アナグマより」
森のみんなは、アナグマをとても愛していましたから、悲しまないものはいませんでした。

『一日の終わりの詩集』

(みすず書房)長田弘

まちがい
いつかはきっと いつかはきっとと考える いつかがくるまでは
実現されてもいないもの かたちになっていないもの
いまここにないもののうちに 真実のなかでもっとも
真実なものがあるのだと信じる
いつかはきっといつかはきっとと思いつづける
それがきみの冒した間違いだった
いつかはない いつかはこない いつかはなかった
人生は間違いである
ある晴れた日の夕まぐれ
不意にその思いに襲われて 薄闇のなかに立ちつくすまでの
途方もない時間が一人の人生である
ひとの一日はどんな時間でできているか?

『「自分の木」の下で』

(朝日新聞社)大江健三郎

このところ、買っても途中で放棄することの多かった大江作品でした。
二十年ぶりくらいに、読みやすい文章の大江健三郎、
(大江ファンにこういう言い方をすると、きっと軽蔑されるだろう、なんてことを考えずに、思うままを言ってみようと、思う本)
小・中学生に向けて書かれた由。
生きるということについて、結果が保証されていなくても、世間からどう見られているかでなく、自分なりの努力を重ねていくということについて。
読み終わって、自分と大江健三郎との距離が、随分久しぶりに
(個人的には、「飼育」「芽むしりこうち」以来久方ぶりに)
縮まった感じがして嬉しくなりました。
それで、また、「あいまいな日本の私」(ノーベル文学賞受賞時の講演、岩波文庫)を取り出して、再読しました。

『ソクラテスの弁明』

(岩波文庫)プラトン 著

あまりにも有名で、しかも哲学の授業で最初に出てくる二人分の哲学じゃあチョット、と手を出しかねていた本でした。
東京に出かける道中で読む本にこの薄さが手頃かな、と持っていってみたら、往復の機内で、夢中で読めてしまいました。
ソクラテスの態度に共感できるかどうかはともかく、その喜怒哀楽が、何千年の時を越えて伝わってくるのに、感動しました。
(私の中のミーハー部分?は、『走れメロス』を思い出していました)

『中島らもの 特選明るい悩み相談室 その2 日本の常識編』

(集英社文庫)中島らも 著

笑える。しかも悩ましい。
人間関係を考えるのに、役に立つ?役に立つだろう?役立ちそうだ!
カウンセリングの参考に、なる、なる。
新聞に連載時は、読み流していたが、こうやってまとめられると、唸ってしまいます。

『すきまのじかん』

(ひくまの出版)アンネ・エルポー 著 木村栄 訳

黒と白でなくって、
明と暗でもなくて、
善と悪でもなくって、
そんな<すきま>は 気がつかれることなく そこにいます。

『名前のない人』

(河出書房新社)C・V・オールズバーグ 著 村上春樹 訳

ふと訪れた なにげない時間が
何気なく去っていく
そのことについて

『タオにつながる』

(朝日新聞社)加島祥造 著

前著(同ページ#10)と異なり、講演・インタビューの再構成。
確かに著者の考えが述べられるのだが、前著の方が心に染みた。
考えを言葉にして伝えることの困難さを考えてしまった。